2025年07月19日

現代政治について


 「保守」「革新」「中道」などという見地から、勝った負けたで一喜一憂するのは、アホの次元の話だ。

 国家的イデオロギーと反国家的イデオロギーとの対立を煽ることが、すべての政党の常套手段なのは、アルチュセールを少しだけ応用して読めば誰でもわかる。

 なんちゃらファーストとか、平等がどうしたとか、差別がどうしたとか、未来がどうしたとか、正しさや真実がどうだとか、自分たち以外すべてを仮装敵にしたりするとか、そういう実態のないイメージを残す努力をしているだけだ。

 広告代理店やインターネット(そして裏情報的な)発信に期待したくても、それは偽善的な美しい未来像、単なる宗教的な妄信、逆に偽悪的な醜い世界像、あるいは一時的な流行の強調にすぎない。

 少し知恵がついてそれらを理解し始めると、どこに投票するべきかを考えるときに、単なる言葉ではなく、政策内容と政策実績が大切だと思ってしまう。

 そして、その「内容」と「実績」なるものを、「エヴィデンス」とし、投票の動機と勘違いする。

 それこそが、現代政治の決定的な最重要課題だ。





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2025年07月18日

「知」の欺瞞という欺瞞


 オレたちは知の欺瞞に敏感だ。

 つまり、思想家が偉そうなことを書いていながら、その思想家が記している科学的なアナロジーは無意味でしかない、だから、読む価値がない、と。

 じつにその通りで、「無意味でしかない」までは、反論のしようがない。

 しかし、だから読む価値がないというのは、違う。

 無意味なものを読む価値がないというのは、ナンセンスなものを読む価値がないということだ。

 つまり、ルイス・キャロルの書いたものは読む価値がないということになる。



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2025年07月17日

カバーアルバム


 superfly がカバーアルバムを出すらしい。

 彼女が他人の曲をカバーすることについてはここに書いた通りだが、それから10年経って、ようやく邦楽のカバーを本格的にできる位置に到達したということだろう。

 先行で、ミスチルに続いて、Super Beaver の「人として」をSNS等で公開していたが、非常にストレートでど真ん中なリメイクで、じつに清々しい。

 たまたまある事情で Super Beaver のライブを観る機会があったが、実にまともでマジメなロックバンドで、オレたちの世代のような、ふざけた感覚は皆無なのがオモシロい。

 そういう彼らが演奏する真面目な曲を、さらに真っ直ぐに、何のギミックを交えることなく、そのまま素直に歌い倒してしまう Superfly のセンスと技術に、オレたちは唖然とするだけだ。

 良い曲を、良い歌い手が歌うだけのことと捉えれば、何ということはないけれど、どれだけの人が気づいているのかは知らないが、それは奇跡的なことだ。

Amazing (初回プレス盤) - Superfly
Amazing (初回プレス盤) - Superfly




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2025年07月16日

結論


 オレもそうだが、人は結論をすぐに知りたがる。

 問いの重要性を知る前に結論を聞いて、安心する人さえいる。

 いまはタイパの時代なので、その結論すらどうでもよいのかもしれない。

 オレはずっと、そういう態度を反省する日々が続いている。

 反省し続けていると、要するに結論保留のものが蓄積されていく。

 どんどんそれらが、うず高く積み上がっていくが、あまり気にしないようにしている。

 そのうち、そのいくつかは解決するだろうし、解決しなければ解決しないで、問題として忘れずに残しておくことが大事だ。

 未解決のものが、うず高く積み上がっているのに気にならないかと心配される方もいるかもしれない。

 大丈夫、人間は忘却の動物だから。




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2025年07月15日

左翼


 ジジェク的ではないが、ジジェク的としか呼べないような「左翼」について話してみよう。

 左翼は、理論的に右翼よりどんなに劣っていても、政権担当実務能力が皆無でも、指導者がマヌケでも、議員がバカでも、支持者に倫理的な問題があっても、議席が少数でも、右翼と互角の存在だ。

 ジジェクは、そういう左翼が一時的にでも政権を握るような政治を目指している。


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2025年07月14日

構造と思考


 何度も同じようなことを繰り返し書いているような気がするが、そう書きたいという欲望があるからだろう。

 オレたちは、意味をそれほど求めない。

 意味は、ほとんどが「騙し」だから。

 求めているのはその構造だ。

 そしてその構造が、非構造的だということを発見する。

 それらをただ繰り返すのが、思考だ。

 誰も言わないが「構造主義」とはそういうものだろう。




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2025年07月13日

分析空間


 被分析者と分析家がどのような関係かを、示している文献は少ない。

 だから分析空間を知るためには、その数少ない文献を読み漁るしかない。



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2025年07月12日

去勢


 現代に去勢など時代遅れで、存在しないと思っているなら、それは誤りだ。

 むしろ、去勢しかない。

 そして、そこには、原-去勢という考え方はない。

 なぜなら、厳密に言うと、去勢は幻想だから。



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2025年07月11日

Φの話


 Φは(-φ)でしか表せないと思っている(≒ less than nothing)。

 一方で、大文字の他者Aは位置として(のみ)存在するからいいけど、そこに来るのがaと抹消された主体だというのがオモシロい。

 だからこそ(-φ)が有効だ。

 他方Sの側には、抹消されたAがいるわけで、オレたちは、何かそこに真新しいものがあると誤解してしまう。

 しかし、そこには昔ながらの神話がうじゃうじゃいる。



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2025年07月10日

行為的言語


 最近の認識で言うと、とりあえず、サンタンヌ病院でのセミネールの読解が当面の課題で、その後のものは、オマケのようなものと考えている。

 難解さと晦渋さが増していくなかで、独自の・・・主体とはまた別の・・・欲望を、まるで誰が話しているのか分からない形で語っていく姿に、共感できなくなったというのもある。

 まるで、数々のシェーマ自体が語っているような、その語り口は、確かに精神分析の真骨頂の一部ではあるが、その多くは身内に対する教育的効果を担っているものだ。

 オレたちは、未だにフロイトとともに学んでいるわけで、個人の行為的言語にばかり時間を取られるわけにはいかない。



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